千葉家庭裁判所松戸支部 昭和36年(家イ)51号 審判 1961年6月30日
申立人 大井ミエ(仮名)
相手方 大井栄作(仮名)
主文
申立人と相手とを離婚する。
双方間の長女良子、長男伸および次男直の親権者及び監護者を申立人とする。
相手方は申立人に対し、子の養育料として昭和三十六年九月から次男直が中学校を卒業するまで毎月金二〇〇〇円宛を毎月末日限り申立人に送金して支払え。
当事者双方は互に離婚に基く財産分与慰藉料その他一切の請求をしない。
申立費用は各自の負担とする。
理由
申立人は主文第一、二項同旨の調停を求め、その申立の実情の要旨は、「申立人は昭和十九年二月頃当時警視庁巡査であつた相手方と婚姻したが、相手方は、昭和二十一年三月頃退職して丸の内工業地所株式会社に勤務するようになり、その後昭和二十六年頃日本不動産管理株式会社に移り、昭和三十四年六月頃退職し、その頃から千葉県葛飾郡我孫子町の染井某なる女性と同棲して申立人及び三女の生活を顧ない状況になつたので、本申立に及んだ。」というにある。
相手方は、昭和三十六年五月三十日第一回調停期日に出頭せず、同日当庁到達の速達便を以て同日出頭できない理由として健康すぐれず且経費がない旨を伝えた。
調査の結果によれば、次の事実が認められる。
(1) 申立人は大正七年北海道の漁村で生育し昭和八年高等小学校を卒え、東京に出て女中、店員等をするうち昭和十八年頃相手方と知り合つた。相手方は北多摩那で土木請負業を営む父の長男として出生し幼時母と死別し、小学校を卒えて東京工科学校土木科夜間で勉学しながら東京府第二河川出張所に勤務し昭和十二年頃から同一四年頃まで南洋庁ヤップ支庁に土木工手として勤務したが、昭和十四年十二月警視庁巡査に採用されその頃阿部キミなる女性と約三年間内縁関係にあつたが、昭和十九年頃申立人と知り合つた。
(2) 申立人と相手方とは、昭和十九年頃結婚し南千住署官舎で世帯をもつたが、婚姻届は昭和二十年二月二十六日なされた。相手方は、この頃、警察官として勤務しているうち、犯人逮捕の表彰を受けること三度に及び成績良好であつたと認められる。申立人と相手方との間に、昭和二十年七月三十日長女良子が出生したが、相手方は同年末頃警視庁巡査を辞職した、その原因は判然としない。相手方は昭和二十一年六月頃、三菱地所株式会社の巡視となりその頃申立人肩書住所の住宅に居住し昭和二十八年頃まで勤務する間数回に亘つてビル荒し逮捕により表彰され或は精勤賞を受けた。この間に申立人と相手方との間に昭和二十三年十月三日長男伸、昭和二十六年五月二十五日次男直が出生した。相手方は昭和二十八年頃三菱地所株式会社の子会社である日本不動産管理株式会社に勤務することになり、その頃東京ガスのビルの管理責任者となつた。
(3) 確証はないが、相手方は警視庁巡査を辞める頃から女性関係があつたもののように推察され、三菱地所或は日本不動産に勤務する間もその故か、家計に入れる給料も充分でなく、また外泊も稀でなかつた模様である。相手方の軽卒な女性関係を感知した申立人は、激しく相手方を追求したようで、申立人も相手方も葛藤解消の方向への何等の策を取らない儘で溝は深くなるばかりという状況であつたように推認される。
(4) 相手方は、昭和三十四年六月頃勤務先に辞表を出し申立人肩書住所から無断家出し、同年八月頃静岡市内で間借りして木工会社に勤めたが健康を害した模様であり、同年九月頃、予て三菱地所勤務時代に知り合つた染井とも子(当三五才)と同棲し、共稼ぎで生計を維持している。
(5) 昭和三十四年九月二日申立人より相手方と対し当庁に離婚調停申立があつた(昭和三四年家イ九四号)が第一回調停期日に相手方出頭せず、第二回調停期日において「相手方は申立人に対し三児の養育料として毎月金五、〇〇〇円を送付する」旨の調停が成立した。当時は尚、申立人と相手方との婚姻は必ずしも継続不可能でないと見受けられたもののようであるが、上記養育料の額は、相手方の真意に副わず且相手方の経済能力の実情に即したものでなかつたものの如く数日を出ずして昭和三十四年九月二十五日相手方より申立人に対し離婚調停申立があり(昭和三四年家イ一一〇号)、養育料負担回避のためにするものと解されたものの如く直ちに不調とされたが、さればとて上記養育料が履行される筈もなく、再三の勧告にも拘らず、不履行の儘で今日に及んだ。
(6) 申立人は、肩書住所の社宅で長子良子(○○高校一年在学)長男伸(中学一年)次男直(小学校四年)を監護しながら三菱地所株式会社に勤務し月収約金一六、〇〇〇円を得ているが、生活程度は最低である。申立人は、昭和三十四年上記離婚調停申立の頃から離婚の意思はあつたが説得されて思い止まつたにすぎず、相手方に収入がなければ何等の金員の要求もせずに離婚したい意向であり、三子は自ら養育したいが、唯長女良子は反抗期にあり、その意思次第で相手方に引取つて貰つてもよい心算である。
相手方は、協和木工株式会社に勤務し月収約金一二、〇〇〇円を得、月収約金九、〇〇〇円の染井とも子と同棲しているが、借財があり、昭和三十六年九月頃から月額金二、〇〇〇円程度の養育料送金が可能の程度である。相手方が離婚の意思を有することは明確である。しかし相手方は三子のうち何人を引き取つてもよいと言うものの、染井とも子との共同生活も極めて不安定なもので、相手方の未成年者保護能力には殆んど期待できない現状の如く見受けられる。
以上認定の事実から考察すると、申立人と相手方との離婚はすでに避け難いものと解さざるを得ず、三子の養育については、従来申立人のもとで監護されてきた現状の儘で申立人を親権者とするのが妥当と思料されるが、相手方も三子に対する愛情において世上一般の父親と変るべき筈はないと信じられるので、月額金二、〇〇〇円の養育料の確実な履行に期待し、家事審判法第二四条に則り、主文のとおり審判した。
(家事審判官 深谷真也)